
Instagramが「いいね」の数を隠すテストを米国でも開始した、というニュースについてです。
「いいね」と言えば、SNSをやる上では欠かせない存在で、これをたくさんもらうことが目的の人も多いはず。そんな「いいね」を隠して何かいいことがあるの?
そんな疑問から、なぜ「いいね」機能を隠すのか?を今回は考察していこうと思う。
SNSのいいねが抱える闇について考える
なぜいいねが欲しいのか
承認欲求は誰しもが持っています。これは人である以上、本能的に持っているものなのであって普通です。
家族と生活して、会社に行って仕事する。この中で最も自分を満たしてくれるものは「自分が必要とされていて認めてくれる人がいるから」ではありませんか?僕は多分そうです。
これは、生きる糧にもなるし、とってもいいことだと思ってます。
しかし、一歩間違えれば人生を不幸にする面も持っています。SNSの普及はこれを増長させた(かもしれない)ツールなのです。
本当の自分ってなに?
リアル生活とSNSで最も違うところはどこでしょうか。それは、みんなとの距離感だと思ってます。
リアルでは目の届く人のリアルな反応しかありません。自分が存在できる場所は物理的に限定されるので、ほとんどの人は自分が周りの人にどう思われているか?は大体把握しているはずです。
しかしSNSでは知り合いや知り合いの知り合い(他人)のみんなにリーチします。特にパブリックでは全世界の人に向けて発信してフィードバックを得ることが可能となっています。
みなさんも自分の投稿がバズった時の興奮を味わったことがあると思いますが、あれは結構麻薬になります。
するとどうでしょうか。「こういう内容の方がバズるのでは?」「自分の考えとは少し違うけどこう表現しよ」という歪みが生じます。
これを繰り返すことによって、いつの間にか本当の自分がよくわからなくなる事は往々と出てきます。
群集心理が働く国
さらに日本ではよくない(と思われる)現象があります。
それはいわゆるインフルエンサーの「いいね」はフォロワーに比例して増幅されやすいということです。
こんなにフォロワーがある人が言っているのだからいい事を言っているに違いない、と気軽に「いいね」をする→さらにそのいいね数を見て誰かが「いいね」する。
こんな循環で、いいねを重ねることによって、一部のインフルエンサーの意見があたかも世間の声のように扱われて、よく検討もしないうちに世論が完成されてしまいます。
この群集心理が生み出す 軽率な世論 はかなり影響は大きいと最近のメディアを見ていると感じますし、恐ろしいことだと思いませんか?
有意義な実験になってほしい
以上のことから、今回のInstagramでの「いいね」非表示はテストとしてやってみる程度とのことですが、とても有意義な検証だと僕は考えます。
僕の個人的な考えでは、「いいね」という周りからのフィードバックはとても楽しいことですので、「自分の意見を絶対に曲げない」「バズってるからといって真実と受け入れない」というマインドを持っていれば健全な機能だと思います。
しかし、多くの人がこれらのワナにハマり、不幸になっていると感じてるのも事実です。
SNSを運営する側としては、より多くのユーザーの満足度を満たしてサービスを継続してくれることを優先するとは思いますが、この実験結果がどうなるのかは非常に興味深いです。
嫌われる勇気を持て
最後に、承認欲求について考えてみるとあらためて、アドラー心理学の『課題の分離』は今の時代には必須のマインドセットだと感じました。
ベストセラーなのでいまさらですが、こちらの本を読んでいない人は是非読んでみてください。
僕もいつも注意しながらTwitterなどはしていますが、みなさんにも是非「幸せに暮らすために」SNSを利用しましょう。
